2003/3/21 嶋崎敏章遺作展に寄せて 富山県洋画連盟 萩中幸雄 
緑黄色で描かれた海に突き出た力強い岬の絵が思い浮かぶ。堂々とした体躯に、恥じらいながらも人懐っこい眼差しで語りかけてくるのが常で、最近ではとくに嶋崎氏自身の作品の前ではほのぼのとした仕種の中に嬉しさが溢れていたものである。
 私にとって嶋崎氏は風景モチーフにし、視点も似た作家であり、同志のような親近感を深く持つとともに、彼の絵の魅力に次第に惹かれているものを感じていた。 とくに最近では、彼は自分の絵の在り方に確かなよりどころをとらえていたのではないかという確信を持つのである。作家はそうしたときには自分で手応えを感ずるもので、正に彼はそうした「とき」を迎えていたと思われる。
彼の作品と態度から見てとれるのである。彼の主調色には、対象を自分のふところでとらえ、抱きかかえた後、雛にかえす温味があり情熱を伺われた。そこでは渾然とした強さで心象をタブローに注ぎ込まれていると思われるのである。 洋画連盟の会員としても、地区委員として展覧会の陳列の際には、率先して働きかけていた姿が思い浮かぶ。貴重な人材である、今後期待の作家であったことを改めて思い知るのである。

2003/3/21 嶋崎敏章君を悼む 光風会評議員 廣井邦一
嶋崎君は、すでに光風会会友で20回の入選歴をもつ常連作家であります。 想えば、昭和53年(34歳)第64回光風会展において「福(能登)浦」が初入選となりました。 それからは、一歩一歩地道に描きすすめる真摯な姿が今偲ばれます。 平成2年から最後まで「国分風景」をモチーフとして、連続13回の入選を果たし、光風会展においては、岬を描く嶋崎君と定評を受けるようになってきました。 入選10回目頃から、光風奨励賞の候補に名前が出るようになりました。 平成10年、第30回日展に出品した「国分風景」100号が見事に念願の初入選となりました。 また、平成14年、第88回光風会展に出品した「国分風景」100号が20回目の入選作となり、それが光風奨励会賞に輝きました。
 平成14年4月6日、この受賞で光風会会友の推挙となりました。 生涯かけて、こだわり続けた嶋崎君の風景画は、単なるキレイ事の調和という次元から次第に個性的表現に変わってきたように
思われます。 また、嶋崎君は、いつも謙虚で、決して奢らず「芸術家の道はどこまでも未完成」という考えの持ち主でありました。 平成14年7月,人格円満な嶋崎君に富山支部事務局主任に就任してもらいました。予想通り事務能力抜群、安心して任せました。 彼は、こよなく郷土の風景を愛し続けた、真摯な画家であった。 彼の残した密度の高い作品は、私たちに強い刺激を与えてくれます。
 嶋崎君は、平成15年1月25日59歳の若さで逝去され、富山支部の後継者として期待されていただけに、痛恨の極みであります。

2003/3/21 嶋崎敏章君の遺作展に寄せて 画家 林清納
嶋崎君との出会いは、私が高岡第一高校に奉職した年から始まる。新設されたほやほやの高校は、一年生のみの生徒たちで、廊下が職員室、校長室は階段の下、グランドは石ころだらけの蓮花畑、美術室は玄関下駄箱の前といった具合だ。生徒も荒々しく、素朴で、エネルギー一杯で輝いていた。先生も夢校長のもと、輝いていた。私学の苦難な一期生同志で、私は美術と体育を担当した。この荒々しいエネルギーを生かしたいと、ラグビーの楕円形のボールで生徒と体で触れ合うことから始めた。10人たらずの部員は、石ころだらけのグランドでどこへ転がるか分からないボールと真剣に興じていた。新しい一年生が入学してきてようやく15人余りのラグビー部が誕生し、県大会では、白地に横一本の赤い線のジャージーは横に並ぶと壮観で、1,2年生でのデビーは富山県を驚かせ話題となった。第二位と活躍し、嶋崎君は足が速く、ウイングでトライマンとして活躍してくれた。
 一期生はそれぞれ日体大や明治大学へ進学して行った。嶋崎君は大阪芸大の合格であった。卒業してすぐ三協アルミ、デザイン課に就職が決まり、社会人となった。美術クラブの活動に加わり、美術の道を切り開いていった。デッサン会に呼ばれたり交流も深まっていった。
豊かな色感と新しい傾向の画風へと次第に実力を身につけ、県展や光風会展入選を重ね、特に日展初入選は快挙であった。日展入選祝賀会でのスピーチで高校の教え子であることを初めて名乗ってしまったが、影から応援していただけに、プロとしてのデビューはとても誇らしく嬉しいものであった
定年を期に、更なる挑戦をと闘魂を燃やし着々と準備を進めていた。一周忌を記念しての遺作展は、画家嶋崎君の足跡をしっかりと後世に伝えてくれるものと信じ、改めてご冥福を祈るばかりである。

Copyright(C)n-enshoji Design. All rights reserved.(記述例です)