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2003年度

2002年ニュースはこちら

 

・ヤナギ、明日イブに入籍発表へ! [2003.12.23]

本編集局がつかんだスクープである。
ある情報筋によると、富山県の英雄・柳沢 敦(サンプドリア所属)が明日の
クリスマスイブに入籍発表をすることが分かった。
ちなみにこの記事は、いーさではないので誤解のないようにお願いしたい。

今月に入り広末涼子の妊娠発表、奥菜恵の結婚発表、じじぃ選手の結婚発表
など結婚ニュースラッシュとなっているが、柳沢選手はじじぃ選手の影響を受けた
ともなんとも言っていない。
ただ、入籍発表の噂に関して本人は現在肯定も否定もしていないため、
入籍することは確実と見られる。

気になるヤナギのお相手はモデルの小畑由香里(おばたゆかり)サン。
JJのモデルとして表紙を飾ることもしばしば。最近では2003年6月号の表紙を
飾っている。
現在は所属の(株)ディスカバリーエンターテイメントの稼ぎ頭として、モデル業、
歌手業、その他もろもろ業を手広くこなしている。
芸能界入りのきっかけは「1996年第1回ヤングサンデーぜったいアイドル決定戦」でグランプリになったことで、同1996年にUHA味覚糖「ピピンC」のCMで、当時
まだ無名だった矢田亜希子さんと一緒に出演している。

小畑由香里さんについては以下の関連サイトがある。

所属オフィスサイト  (アーティスト一覧参照)
光文社サイト     (JJバックナンバー参照)
あの人は誰?サイト (Q&Aの下から7番目参照)

果たして一見派手そうな小畑サンと寡黙な好青年・柳沢選手がうまくやれる
のか?、また柳沢のご両親との富山でのあいさつは済ませたのか?
将来富山に二人で帰省したりするのか?
ついでにヤナギはなぜモデル好きなのか?
など余計なお世話ながら気になる番記者であった。


・高岡市役所、麗奈を獲得へ! [2003.12.18]

本編集局が、ある情報筋から入手した情報によると高岡市役所が来年度の
保育士部門の補強のため、二塚P'Sの応援団長・麗奈に対し、獲得に向けた
正式交渉をしていることが分かった。
高岡市では今後、福祉部門の需要がますます大きくなると判断。佐藤市長の
鶴の一声で今回の獲得交渉の実現となった。
また、一説には今季のオフシーズンに二塚P'S球団が立て続けに新人を獲得
していることも刺激材料のひとつになっているのではないかとの情報もあるが
真偽のほどは定かではない。
高岡市は、麗奈に対し新人としては異例の契約金+複数年契約+出来高払い
という破格の契約内容を提示したと見られ、今後の麗奈の動向が注目される。

麗奈側の代理人・安照武(あーん・てれむ)氏によると、「麗奈は入団に前向きで、
現在は最終の詰めを家族と相談しているところだ。しかし、麗奈家は伝統行事を
重んじる傾向があるため、お正月というイベントの前に契約を済ませ、すっきりと
して正月を迎えることになるだろう。」

二塚P'S球団としても「たまにも応援団長の応援側になろう」と乗り気で、
全面的にバックアップする姿勢である。


・MVP2003は誰の手に? [2003.12.9]

宇奈月シリーズ第3弾。
12月6日、宇奈月温泉郷にある某ホテル・鳳凰の間では、我らが二塚P'Sの
栄えあるMVP2003授賞式が厳粛な雰囲気の中行なわれた。
今年のMVPは・・・!!

以下のサイトに書いてあります。
MVP2003授賞式

また、忘年会の様子もこちらでご覧になれます。
忘年会2003


・10年愛。じじぃ選手、結婚へ! [2003.12.8]

〜あの超大物選手が重大発表!〜
宇奈月の某ホテルで行なわれた二塚P'S大忘年会の席上で、超大物選手の
記者会見が行なわれた。

急きょ設けられたホテルの会見場・鳳凰の間に現れたのは本年2003年、見事
公式戦首位打者のタイトルを獲得した、Mr.じじぃ選手!

会見でじじぃ選手はやや緊張気味に重大発表を行なった。
「私、じじぃは来年、結婚することとあいなりました。」
集まった報道陣からはどよめきと同時に自然と拍手が沸き起こり、最後は
スタンディングオベーションの嵐となった。

その後、いつもは静かな温泉街である宇奈月は、祝福する宿泊客や、
結婚の詳細をインタビューするマスコミ関係者などでごった返し、
一時騒然となった。
このためじじぃ選手の会見はわずか15分ほどで終了。混乱の中、じじぃ選手は
チームメイトとの大忘年会の渦の中にうれしそうに消えていった。

しかし、じじぃ選手は我々P'S編集局にこっそりと二人の秘密を教えてくれた。
お相手は神戸に在住の女性。知り合って約10年になるそうである。
この間、じじぃ選手は大学の博士課程時代、そして就職した富山時代と長きに
渡って遠距離恋愛を続けた。
「30まで待つ。それまで充分遊んでおけ。そしてお互いが30代になったら
結婚しよう。」
これが二人の約束だった。
そして10年の愛を貫いたじじぃ選手は来年の夏、人生の首位打者になる。


・二塚P'S大忘年会、開催される!! [2003.12.7]

2003年も師走だけを残すのみとなった12月6日(土)、二塚P'S球団は今年を
締めくくるイベントとして宇奈月の温泉街にて大忘年会を開催した。
忘年会では、2003年の各賞の発表と授賞式、、公式クラブに登録するか
どうかの決議、2004年の球団キャッチフレーズの提案、大物選手の重大発表
など多岐にわたるイベントが執り行われた。
詳細は後日、球団の事務手続きが終了し次第、記事にまとめ、発表する予定で
ある。

〜記事予告〜
・あの超大物選手が重大発表!
・今年のMVPは誰の手に?
・2004キャッチフレーズは?


・選手年鑑2004、完成!! [2003.12.4]

本日12月4日、本ホームページ長年の夢であった「二塚P'S選手年鑑」が
ついに完成し、新ページの除幕式が行なわれた。

午前10時から始まった式典では、県知事の祝辞の後、関係者がリボンの
ついたマジックハンドでパソコンのリターンボタンを押す。するとホームページが
見事更新され、会場は拍手喝さいに包まれた。

地元では獅子舞が披露されるなど喜びムード一色。
夜に入っても熱気は覚めやらず、祝いの紅白餅やお神酒が振舞われ、
現在も祝賀会は続いている。

選手年鑑のページは左メニューにある。ぜひ皆さんも新ページを訪問して
いただきたい。


・二塚P'S、選手年鑑、完成迫る! [2003.12.2]

最近、本ホームページはニュースも少なく更新頻度が減っているのではないか?
と思われているかもしれない。
しかし我らが編集局は別に一足早いクリスマス休暇をとってバカンスをしている
わけではない。実は編集局内では、関係者以外完全シャットアウトの体制を敷き、
ちゃくちゃくと秘密裏に、「とある業務」が粛々と行なわれているのだ。
それはずばり!
本HPの長年の夢であった「二塚P'S完全密着!選手年鑑2004」の制作である。

この選手年鑑の発行に関しては球団との交渉から始まり、選手の肖像権、
版権の管理など、多くの壁が存在していた。我々二塚P'S編集局では1年2ヶ月
の年月をかけてひとつひとつの障害を乗り越え、ついに今回の発刊にこぎつけた
わけである。
今のところ、具体的な完成日は未定ではあるが、ごく近い将来お披露目が
できることはお約束しよう。F党の皆さん、今しばらくのお待ちを!!

<おまけ情報>
実は、編集作業を円滑に進めるため、編集中の選手年鑑へのリンクが
HP内のどこかに隠されています。各編集者はその秘密のリンクから編集
作業を行なっているわけです。もしも見つけることができれば、こっそりと
編集の進み具合を見ることもできます。しかし、見つけることは多分無理
だと思いますよ。
でも、封切りまで我慢できないっという方は是非探してみて下さい。


・伏木海陸運送、社会人野球全国大会の結果は! [2003.11.27]

大阪ドームで開かれている社会人野球日本選手権に北信越代表として
出場している伏木海陸運送チームは、去る11月24日、初戦で強豪松下電器を
3X-2のサヨナラで破り、見事、全国大会初勝利をあげている。
勢いに乗った伏木海陸運送は今日27日、優勝候補である日立製作所と
対戦した。

2回に日立に先制されたものの、伏木海陸運送は5回に1点を返す好ゲーム。
一進一退の状態が続いたものの、伏木海陸運送は惜しくも1対4で敗れた。

今大会で北進越代表として戦った伏木海陸運送は部員わずか16人のチーム。
彼らは大企業と違い、層も薄く、日常も日中業務をこなしながら野球の練習を
行なっている。彼らの初戦突破は全国的にも大きく取り上げられ、雑草チームが
全国の強豪と渡り合ったと報道されている。本日の試合では惜しくも日立に
敗れたもののこれで伏木も全国区になったといえるだろう。

ちなみに一部マスコミが報道している「伏木くさい」という情報は全くの誤りで、
正確には伏木に隣接している米島地区にある中越パルプの臭いである。
米島地区は志貴野校下である。そこんところを大事にしてもらいたい。


・二塚P'S、今季最終戦、猛打で白星飾る! [2003.11.9]

今季最終戦となった11月8日、五福公園の二塚P'S対パルマラットの練習試合は
9対7で二塚P'Sが勝利。今季勝ち星に縁がなかった対パルマ戦に最後の最後で
勝利し、二塚P'Sは今季を気持ちよく終えることとなった。
この試合では監督の今季第1号の本塁打など二塚P'Sは11安打を放ち、
苦しみながらも乱打戦を制した。デビュー戦となった、たかだ選手も見事
適時2塁打を放ち、右の大砲としてアピール。下位打線もあみぃが自身初となる
マルチヒット、3打数2安打を記録するなど来季に向けての明るい材料も見受
られた。詳しくは試合結果の方をご覧いただきたい。


・二塚P'S、右の大型新人獲得へ! [2003.11.4]

ダイエーが記者会見で、小久保選手の巨人への無償トレードを発表したが
時を同じくして、二塚P'S広報部でもさりげなく新外野手の獲得の記者会見が
盛大に行なわれた。
本編集局が入手した情報によると、獲得が内定した選手は企画用地勤務の
高田選手。右投げ右打ちでポジションは外野手。記者会見で見る限りでは
体はがっちりとして色黒であり、きっちりと体を絞り込んできているようである。
球歴は小学校、大学と野球クラブで鍛えていたということだ。
これまでの経過は、日本国内での球団を求めていた高田選手と、左打者が多い
二塚P'Sの重要課題であった右の大砲獲得というスカウト陣の方針が合致。
相思相愛となり今回の入団内定の運びとなった。
二塚P'Sでは先日の森田選手獲得に続き、来シーズンへの2人目の補強となる。
オフシーズンも着々と手を打つ二塚采配に、来季への周囲の期待は大きい。
会見場で高田選手はきのっぴ選手相手にキャッチボールを披露。
巧みなグラブさばきに歓声が上がった。二塚P'Sでは外野手ポジション争いも
予想されるが、「切磋琢磨して各選手が向上すればいい」(球団関係者)と球団
にとってプラスであることをアピール。早ければ今週末のパルマ戦で高田選手の
デビューが見られるという。F党にとっては目が離せない練習試合となるだろう。


・公式戦個人結果、唐突にまとまる! [2003.11.2]

11月の3連休は1日、2日と好天に恵まれ絶好の野球日和となった。
1日の合同自主トレの後、心地よい汗を流した各選手は残りの2日間を完全オフ
にあて、長島スパランドや鍋パーティなど思い思いの計画を立てたようである。

そんなムードで始まった11月であるが、何のタイミングもなく唐突ではあるが
2003年度二塚P'S公式戦最終集計が発表された。
公式戦8試合(集計は7試合)における首位打者は?、防御率は?

お楽しみの結果は「個人成績」のページへGoだ!!! Uhhh、ゲッツ!!!


・独立リーグ、最終結果、ついにまとまる! [2003.10.14]

〜 秋深し 土をならして 咳ひとつ 〜
公式戦も終わり、オフシーズンムードが漂ってきた10月。選手の記憶から
消えかけていた「独立リーグ」の集計が本日ようやく公表された。
遅れの理由としては様々な憶測が飛びかっているが、当の取りまとめ機関である
文部科学省の外郭団体、「草野球ちゃんを想う会」では、明言を避けつつも、
担当者が個人的にちょっとばたばたしていた、との見解を示した。

結果は、・・・独立リーグのページでじっくりとご覧下さい。
公式戦の集計結果は、、、しばらくお待ち下さい。


・本ホームページ、開設から1周年! [2003.10.1]

                〜 ご  挨  拶 〜
10月1日を迎えた今日、本ホームページは開設1周年を迎えることとなりました。
このくだらないHPが1年間続いたのも二塚P'S選手のネタの豊富さや、
球団関係者の掲示板への積極的な書き込みなど、周りの皆様の配慮、
協力があったからこそと思います。
これからも二塚P'S公式ホームページをよろしくお願いいたします。

    〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

思い起こせば、本編集部では、秋開設に向け、夏ごろからせっせと画像を加工
したり、ページ構成を作ってみたりといった地道な作業が続いていたあの頃。
また、むりゃんこに10月1日に開設した草創期は、各選手、応援団及び
球団関係者から特に反応もなく、とっても評価が気になって不安だった編集部内。
しかし掲示板を開設したことを機に、次第に生の声、HPへの反応が伝わるように
なり、さらに情報交換の場として使われ始め、今では、Yahoo、2ちゃんねると
並ぶ、日本3大HPとしての確固たる地位を築きあげることとなった。

9月30日には山崎まさよしが富山入りし、オーバードホールで二塚P'S
ホームページ1周年記念前夜祭ライブを開き、アンコールを2回行なうなど、
富山の夜は二塚P'S一色に染まり、日付が変わった現在でも祝賀ムードの
勢いは衰えそうにない。
本日10月1日には、二塚P'Sホームページ1周年記念式典が行なわれ、
中沖豊知事からモンいち選手に選手兼フロント業務の辞令が渡されることと
なっている。


・さあ大島サンクス戦が近づいている! [2003.9.28]

9月27日(土)の滑川市堀江球場・・・。
1週間後に控えた東日本大会最終予選に向け、二塚P'Sナインが黙々と調整に
汗を流している姿が見られた。
来週の東日本大会(二部)射水郡予選は二塚P'Sにとって今シーズン最後の
公式戦となる。
思い起こせば、昨年のこの予選は雨天中止、謎の中止でキャプテンがグラウンド
に一人事件、また雨天中止と不運が重なり、4月に持ち越された挙句、敗退した
ということがあった。そのときもサンクス。そして今年もサンクス。
きっと来年もサンクス。
今シーズンの最終戦。勝って有終の美を飾り、最高の打ち上げをしたいところだ。


・二塚P'S、HP6000ヒット突破! [2003.9.28]

二塚P'SのHPへの訪問者が9月28日に6000人を突破したことが分かった。
このHPは2002年10月1日に開設された。当初は知名度も高くはなかったが、
少しずつ口コミで広まり、ヒット数は順調に推移。
2002年11月11日、1000ヒット突破。
2003年3月14日、3000ヒット突破。
2003年5月22日、4000ヒット突破。
2003年9月28日、5000ヒット突破。
そして2003年9月28日現在、記念すべき6000ヒットをいつの間にか突破し
6067ヒットを記録していた。
しかしながら本当の6000ヒット突破の日は過去の推移からして9月22日前後で
あった可能性が高く、当局のずさんなチェック体制が問われそうだ。


・無念!独立リーグ優勝ならず [2003.9.13]

無念・・・。
13日午後、台風通過の中行なわれた独立リーグ第3戦、事実上の決勝戦
「二塚P'S 対 パルマラット」は3対2でパルマラットが逆転勝利、独立リーグ
初代チャンピオンの栄冠はパルマラットのものとなった。

13日は台風の通過があり、風速、気温ともに大荒れの状況。伏木では13日国内
最高の37.4度を記録。試合が行なわれた富山市でも今年最高の35.9度の猛烈な
気温となった。しかし、試合中、選手を悩ませたのは気温よりも風。
絶えず吹き続ける強風はグラウンドの砂をまきちらし、まるで荒野のよう。
選手たちは目に砂が入らないように気にしながら試合を行なった。
しかし風は味方にもなった。二塚P'S・よっすぃ、パルマラット・なべさん、両投手は
マウンドから本塁方向に吹き付ける風に後押しされ、直球のスピードが冴え渡る。
初回に二塚P'Sが2点を先制した後は両チームとも0行進の投手戦に。
しかし、5回に二塚P'Sは投手強襲ヒットなど不運も重なり、3点を献上し、
無念の逆転負け。対パルマラットとしては初の黒星を、独立リーグ最終戦で
喫してしまった。
この結果、二塚P'S、パルマラット、ウィンザー、レボリューションの4チームが
参加した独立リーグ初代チャンピオンはパルマラットとなり、二塚P'Sは2位と
なった。
二塚P'Sは今回の試合をじっくり研究して、10月5日に行なわれる公式戦、
東日本大会(二部)予選を勝ち抜いてもらいたい。


・二塚P'S、砺高の森田獲得へ! [2003.9.11]

たった今、大きなスクープが飛び込んできた。

とある関係者筋からの情報によると、二塚P'S球団が今年のドラフトの大本命、
砺波高校(勤務)の森田の獲得に成功したとのことである。

砺高の森田といえば10年に1人といわれる大型スラッガー。
今年は遊学館・小嶋がプロに行かず大阪ガス入りをほのめかすなど投手部門の
目玉が乏しい一方、早大・鳥谷、砺高・森田ら大型野手が当たり年。今年のドラフトの注目となっていた。
中でも森田には多数の球団から熱烈なオファーが届き、プロかノンプロか、
その動向が早くから注目されていた。

一方、二塚P'Sは、かねてから有力新人の獲得に熱心であったが、スカウトの
活動は常に球団内部でのトップ中のトップシークレット。具体的な活動内容は
マスコミや一般人には知られておらず、今回の電撃ニュースも、我々取材班は
寝耳に水。恥ずかしながら二塚P'S番記者が掲示板の書き込みで初めて知ると
いう状態であった。

とにかく早く二塚P'Sのユニフォームにそでを通した森田が見たい。
掲示板によると早ければ今週末13日午後1時半開始のパルマ戦で、
二塚P'S・森田の姿が見られる。
試合が行なわれる東富山運動広場では、過熱したファンが押し寄せる可能性も
あるため、この時期には異例ともいえる機動隊250人による厳戒態勢が敷かれる
こととなっている。


・全建ソフト大会でP'Sメンバー対決! [2003.8.30]

8月30日(土)に岩瀬スポーツ公園で行なわれた全建ソフトボール大会では
日ごろのチームメイトが、敵味方に分かれ、白熱した試合が繰り広げられた。

あみぃ所属の小矢土は富山土木Aに貫禄の7対1で勝利。あみぃは足の故障後
なぜか右方向に打てるようになり、この日は2試合で右に2本の長短打を放った。

昨日、保証金5000万円で437日ぶりに釈放されたムネオ氏率いる氷見土木は
魚津市相手に30対6の非情の攻めで圧勝。
逮捕後も依然として政界、スポーツ界に影響力があることが確認された。

よっすぃ率いる砺波土木も、よっすぃは不調ながらも順当に勝ち進んだ。

準々決勝では昨年の覇者、八尾町山田村合同チームに小矢土が挑戦。
5回表まで1対0で小矢土がリードするも、5回裏に緊張したあみぃのエラーから
1対2Xで無念の逆転サヨナラ負け。あみぃは泣きながらグラウンドの土を持ち、
会場を後にした。
砺波土木はその八尾町チームを2対1の接戦ながら下し、決勝は
「猛打のブリ起こし打線、ムネオ氷見土木」対
「常勝タレント集団、よっすぃ砺波土木」の直接対決となった。

先週の組合ソフト大会では氷見土木が勝利している因縁の対決は、試合巧者の
砺波土木が氷見のブリ起こし打線を抑え、8対4で快勝。見事優勝を果たした。

砺波土木は一昨年は組合ソフト、全建ソフトの二冠。
昨年は組合ソフトの一冠。
そして今年は全建ソフトの一冠、となり今年も一冠ながら見事優勝を達成した。

氷見土木は組合ソフト、全建ソフトとも準優勝という残念な成績であったが、
来年に期待したい。


・第1回小尻王、失禁王が決定! [2003.8.10]

8月9日(土)に行なわれた独立リーグ第3戦がノーゲームとなった後、
球団では夏に恒例の納涼バーベキュー大会が行なわれた。
昨年のバーベキューではモンゴル相撲による余興が行なわれたが、当時
一部選手が負傷し、試合に影響があったこともあり、今年の余興は、
各選手の尻の締まり具合を戦う小尻王決定戦となった。
球団の有力選手が続々と名乗りをあげる中、各選手は互いの尻を触診しながら
勝ったと思う場合は相手の右、負けたと思う場合は相手の左に並び一列となった。
この激戦の中、もっとも右に出たのは、二塚P'Sの核弾頭、ライオン丸選手。
俺の右に出るものはないとばかりに、今後ストライクの判定で不服がある場合は
下着をふんどし状にしてバットを挟み、バットを真っ二つに折ると豪語。
観衆から大きなどよめきの声が上がった。
また、コテージ内で何回もビールをこぼしたよっすぃ選手は失禁王の称号を
与えられ、ともに王としての存在感を強くアピールした。


・独立リーグ最終戦は雨天ノーゲーム [2003.8.10]

8月9日(土)に行なわれた独立リーグ第3戦、二塚P'S対パルマラットは、
4回表の二塚P'S攻撃中、雨脚が強くなり投手の制球がままならないことから
二塚P'Sが14対2でリードのまま雨天ノーゲームとなり、後日再試合が行なわれ
ることとなった。
8月9日は台風10号が富山県上空を直撃し、関係者の間では試合はまずない
ものと思われていたが、両チームの代表が話し合って得た結果は、試合強行。
試合は予定通り滑川市営球場で開催された。
試合は小雨の中、開始。1回表、ライオン丸の四球と盗塁から得たチャンスで
モンいちが2点タイムリーで先制すると、2対2と追いつかれた3回表には
伏兵あみぃがセンターに抜ける2点タイムリーヒットで再び突き放す展開。
しかし台風の影響で徐々に雨脚が強くなると両チームの投手は制球を乱す
ようになり、四球、死球の大乱調。
4回表にパルマ・渡辺投手が制球が定まらず、じじぃの芸術的ヒットエンドランや
よっすぃの満塁での3塁打など連打でこの回10点を取られたところで両チームが
話し合い、この状況で独立リーグ最終戦、優勝決定試合を行なうことは
本意ではないという結論に達し、ノーゲーム再試合が決定した。


・二塚P'SのHP、5000ヒット突破!! [2003.7.22]

二塚P'SのHPへの訪問者が7月22日に5000人を突破したことが分かった。
このHPは2002年10月1日に開設された。当初は知名度も高くはなかったが、
少しずつ口コミで広まり、ヒット数は順調に推移。
2002年11月11日、1000ヒット突破。
2003年3月14日、3000ヒット突破。
2003年5月22日、4000ヒット突破。
そして本日2003年7月22日、記念すべき5000ヒットを記録した。
注目の5000ヒット目の人物は!、管理者自身も自分だったかかもしれないのに
チェックしてない。


・小杉町長杯で、二塚P'SのH選手胴上げ?! [2003.7.15]

ここ最近、小杉町長杯に関するニュースが連日のように舞い込んでいるが、
今回、また新たな事実がひとつ舞い込んできた。
先日、優勝を決めた戸破クラブだが、優勝を決めた大事な決勝戦で、なぜか
二塚P'Sの選手が戸破クラブのユニフォームを着てプレーしていたというのだ!

この選手を仮にH選手としよう。
H選手が混じった戸破クラブはあれよあれよという間に決勝戦を4-0で勝って
しまった。見事な完封勝利である。このときH選手は試合中、捕手として出場、
巧みなコーナーワークを披露して完封勝利を作り上げた張本人となってしまった。
当然、胴上げの対象となったことは容易に推測できる。
戸破優勝の陰に二塚P'Sありというところか。

この報を受けて、我々取材班は事の真相を確かめるべく戸破クラブ関係者に
取材を申し込んだ。
すると、放送の際、音声を変えるという条件付きながらも選手のひとりA氏が
こころよくインタビューに応じてくれた。
彼によると、戸破クラブは準決勝、決勝と1日2試合のハードスケジュールであった
こと、選手がみんなえびす亭には負けるだろうと思っていたこと、などから決勝の
時間に用事がある選手が続出。決勝に出場する選手が8人になってしまった
というのである。
困った戸破クラブのメンバーがあたりを見回したところ、体育座りをしながら
白球を真剣なまなざしで見つめるH選手が目に入ったという。
A氏「運命だと思いました。」
そう熱く語るA氏を見ていると、二塚P'Sの大黒柱、H選手の評価が高まるのは
いいが、ひとつ間違えば大物選手の移籍問題という展開にもなりかねないと
感じた。二塚P'Sファンらは気が気ではないであろう。


・まじかよ!戸破クラブ、優勝! [2003.7.13]

[ロイター発共同13日]
ただいま入った速報によると、小杉町長杯初戦で二塚P'Sをじゃんけんという
荒技で破った「戸破(ひばり)クラブ」が7月13日(日)の小杉町長杯決勝で勝ち、
見事、優勝を飾った模様。

いまだ、事の詳細は明らかになっていないが、戸破クラブは二塚P'S戦で、
引き分けの末のじゃんけんによる苦しい初戦発進をしたものの、居酒屋えびす亭
ら強豪を破り、見事小杉町長杯を制覇。戸破クラブは古豪の底力を見せつけた。

町内では、警察による事前の警告にもかかわらず、一部熱狂的なひばり党が
下条川に飛び込むなどボルテージは最高潮。
小杉町民は年1回の「お祭り」、小杉町長杯の劇的なフィナーレに酔いしれた。

それにしても二塚P'Sは残念な大会であった。
勝負事に「たられば」は禁物であるが、あえてここで問うてみたい。
もしもじゃんけんで二塚P'Sが勝っていたら?
よっすぃの本塁突入がセーフだったら?
二塚P'Sの小杉町長杯制覇も夢ではなかったのではないか?
そう思わせる、戸破クラブの優勝であった。
二塚P'Sよ、来年こそは小杉町長杯を制覇しよう!射水市になっちゃう前に。


・ひばり、じゃん鬼だった! [2003.7.8]

7月6日(日)に行なわれた、小杉町長杯1回戦は二塚P'Sと戸破(ひばり)クラブ
が互いに譲らず、緊迫した試合運びとなった。
試合はお互いに相手投手を打ちあぐむ展開で両チームとも本塁が遠く無得点。
結局、注目の「二塚P'S対戸破クラブ」は7回を0対0のまま終了し、二塚P'Sに
とっては初の公式戦引き分けとなった。
しかし、二塚P'Sには惜しいチャンスもあった。
3塁にランナーよっすぃをおいて、ねっちが極浅の外野フライ。
ここで一か八かのよっすぃの本塁タッチアップは無念の憤死!
そういう場面もありながら、試合は0対0のスコアレスドロー。
「1点を取れる野球」。これが今の二塚P'Sの課題なのかもしれない。

しかし、トーナメントであるため勝ち負けは決めなければならない。
勝敗は射水郡野球連盟規約で定められた人類史上もっとも古く、かつ神秘に
つつまれた競技、「じゃんけん」で決められることとなった。
勝敗は9人による9回勝負で5人以上勝った方が勝ちという方式。
しかし、二塚P'S各選手は初の経験で緊張したのか圧倒的に負けが込み、
2-5で敗れ去った。
二塚P'Sがじゃんけんが弱かったのか?
戸破クラブがじゃんけんの鬼、「じゃん鬼」だったのか?
二塚P'Sも「じゃん鬼」でもっとラーメンを食べるべきだったのか?
いや、そんなことより、打線のてこ入れをするべきだろう。普通は。


・小杉町長杯を斬る! [2003.6.30]

来たる7月6日(日)の公式戦、小杉町長杯についての情報が入った。
先日行なわれたトーナメント抽選の結果、二塚P'Sの対戦相手は「戸破クラブ」
(ひばりくらぶ)に決定。このとき、抽選会場に詰めかけていた報道陣の間からは
歓声ともため息ともつかないどよめきが起こった。
大会屈指の好カードとなった「二塚P'S対戸破クラブ」。果たしてどんな試合運び
になるのか?その前に、小杉町長杯及び戸破クラブについて説明しよう。

小杉町長杯・・・
いつから開催されているか分からないほど歴史のある大会。
この7月に「サンプドリア」に移籍する、あの柳沢敦選手も子供の頃に
観戦しに行ってたかもしれない大会である。
特徴としては、一部と二部のチームが入り混じってエントリーする、いわば
無差別級の大会であることが挙げられるだろう。
ちなみに昨年、二部の二塚P'Sは初戦で一部所属の「らららデンジャラス」と対戦。
試合中、猛暑でふらふらになり相手ランナーにもたれかかって、にらまれる選手も
現れる中、二塚P'Sは最後まで粘ったものの、接戦を落とし惜敗している。
しかし、今年の二塚P'Sは去年よりもかなり実力がついている。一部チームと
対戦しても遜色ない力を身につけているはずである。
市町村合併もささやかれる昨今、「小杉町長杯」と呼ばれている間に一度は
賜杯を手にしたいものである。

戸破クラブ・・・
射水郡野球連盟一部所属。
「居酒屋えびす亭」、「水西クラブ」と並び、射水郡の野球シーンをひっぱる
実力派チーム。
名前的に小杉町戸破地区を母体としたクラブチームだと思われる。
ちょっと表現が古いが「えびす亭」が貴乃花なら「戸破クラブ」は玄人好みの
若乃花といったところか?二塚P'Sとどのような戦いになるか見ものである。
球団諜報部のデータ分析によると、結構、歳らしいので炎天下の体力勝負の
戦いに持ち込めばおもしろいだろう。


・独立リーグ第2戦、行なわれる! [2003.6.29]

本日6月29日(日)午後1時半に大沢野町営グラウンドで開催されたデーゲーム、
独立リーグ第2戦「二塚P'S 対 ウィンザー」は、7対2で二塚P'Sが勝利した。
これで二塚P'Sのリーグ成績は2勝0敗、首位をがっちりキープしている。
二塚P'Sは先発のモンいちが要所を締め、気迫のピッチング。戦前の「かませ犬」
との評判を一蹴した。投手陣は、モンいち−きのっぴ−よっすぃの豪華リレーで
相手の得点を2点に抑え、投手王国復活を強く印象付けた内容となった。
よっすぃ選手は来週の公式戦「小杉町長杯」に向けた調整登板。終盤の2回を
わずか12球で片付ける快投でウィンザーを料理。格の違いを見せつけて調整が
順調に進んでいることを首脳陣に強くアピールした。
一方、打撃陣のほうは今ひとつ。軟投派の相手投手に的が絞れず、苦労した
選手も多かったようだ。球団は試合後、居残り練習を実施。守備の連係プレーや
サインプレーなど、来週の戸破クラブ戦を意識したものとなった。
戸破クラブと対戦する小杉町長杯は来週7月6日(日)に開催される。


・高松宮杯二部県大会優勝チームは? [2003.6.17]

二塚P'Sが出場した高松宮杯二部県大会が6月16日閉幕した。
優勝したのは新湊市代表の「ナポレオン」。
ナポレオンは決勝で赤丸クラブを破り、見事優勝。新潟県で開催される
北進越大会への切符を手にした。
二塚P'Sを破った厚生連高岡病院は次の試合でニューブラックに、さくっと敗れた。
また、そのニューブラックも続く準決勝で赤丸クラブに敗れ、赤丸クラブは決勝で
ナポレオンに負けたため、我らが二塚P'Sは「もしかしてめっちゃ弱い?」と思われ
かねない結果となってしまった。
しかし、厚生連も吉田投手を連投させるわけにも行かなかっただろうから、組合せ
の妙だろうという楽観的な意見もあるし、落ち込んでばかりもいられない。
この試練を乗り越えて二塚P'Sは一回り大きく成長を遂げるはずだ。


・高松宮杯二部県大会結果 [2003.6.16]

一部北○本新聞等マスコミでは公表されているが、高松宮杯二部県大会に
出場した二塚P'Sは2回戦で厚生連高岡病院と対戦。健闘むなしく、二塚P'Sは
0対6で破れ、県大会の初陣を勝利で飾ることはできなかった。
(詳細は試合結果参照)

球団ではこの厳しい現実を見据え、練習内容の抜本的見直し策や、バッティング
の技術向上策の検討に入った。
今週末も、本来は休養日に当てられていたが、急遽、次回公式戦を想定した
報道陣シャットアウトの練習を行なうことで球団上層部の合意があった模様。
次回の公式戦は7月6日(日)という日程が発表された小杉町長杯となる。


・雷鳥ハンター、いよいよ出撃か? [2003.6.10]

現在、立山連峰で修行をしている雷鳥ハンター選手が今週末の高松宮杯
県大会に出場するため、下山をするという情報が明らかになった。

雷鳥ハンター選手は昨年4番を務め、打率.400の好成績を残したが、今季は
人事異動に伴って立山での生活を余儀なくされ、公式戦出場の機会がほとんど
なかった。
しかし彼は、この逆境にもめげず、雷鳥を使った動体視力のトレーニングや
佐々木小次郎のツバメ返しにヒントを得た「雷鳥返し」なる新打撃法の開発、
雪玉を使ったトスバッティングなどで常に進化を重ね、コンディションを維持。
また、高地であることを利用した低酸素環境でのトレーニングを経て
ヒクソングレイシー式の呼吸法をマスターしたものと思われる。
最新情報では6月8、9日に立山荘の裏山に熊が出没したということである。
しかし、熊が何らかのトレーニングに役立ったかどうかは、今のところ
確認されていない。


・高松宮杯県大会の対戦相手が決定! [2003.6.9]

6月14日(土)〜16日(月)に行なわれる高松宮杯二部県大会。
各出場チームは全て地区予選で優勝を果たしてきた強豪ばかりである。
もちろん二塚P'Sもそのひとつであることは間違いない。
先日行なわれたトーナメントの抽選結果が、ついにマスコミに公表された。
運命の二塚P'Sの対戦相手は・・・

高岡市地区二部優勝の「厚生連高岡病院チーム」。

この「厚生連」とはどういうチームなのか、白衣の医者の集団なのか、はたまた
ピンクの看護師の集団なのか?
選手がドーピングしてたり、病原菌攻撃してきたりといったギャグ漫画みたいな
展開はあるのか?謎は深まるばかりである・・・。


・郡体は惜敗! [2003.6.8]

6月8日(日)に薬勝寺グラウンドで行なわれた郡体2回戦「二塚P'S対芳野野球
クラブ」は1−3で芳野が辛勝、二塚P'Sは三度目の正直はならなかった。

しかしながら、昨年1年間に行なわれた公式戦では初対決で0−11、
2回目は1−7であることを考えれば実力差は確実に縮まってきており、二塚P'S
の今後の健闘が期待できる。
選手たちはさばさばとした表情でバスに乗り込み、グラウンドを後にした。
選手らを観察していると、彼らは終わった敗戦から早く気持ちを切り替えて
目前に迫った来週の高松宮杯県大会の戦略についてじっくり考えているようだ。
今はそれもよいだろう。
来週こそは県大会初白星を目指して、頑張ってもらいたい。


・郡体の初戦は芳野野球クラブ! [2003.6.5]

郡体の相手は芳野野球クラブ。
今週末、6月8日(日)の郡体の試合相手は芳野野球クラブということが分かった。
郡体とは、「郡民体育大会」の略で射水郡野球連盟に所属するチームが
一部・二部を問わず参戦してくるサバイバーな大会である。
二部所属の二塚P'Sにとっては、大島サンクスやソルジャーズ以外と戦える
数少ない大会であり、以前からその対戦相手が注目されていた。
先月に行なわれた抽選会では1回戦が不戦勝となり、対戦相手は同じく1回戦、
「ソルジャーズ対芳野野球クラブ」の勝者、ということしか分かっていなかった。
戦前の予想では、どうせ芳野が勝つだろうというものが多かったが、
果たして!、対戦相手に名乗りをあげたのは、やっぱし芳野であった。

芳野は昨年まで二部に在籍しており、1年間、二塚P'Sと歴史に残る戦いを
繰り広げてきた。
過去の対戦成績は残念ながら、二塚P'Sの0勝2敗。
正直言って壁であった。

二塚P'Sが2002年、新規に連盟に加盟し、二部でのびのびとした二塚旋風を
巻き起こしたのを見届けるかのように、芳野は今年なぜか、ふっと一部に昇天。
勝ち逃げ状態となった。これをもって今後、二塚P'Sと芳野が戦う機会は、
ほとんどなくなったとみられていた。

しかし、何の因果か、みたびの対決。
芳野に二塚P'Sの成長ぶりを見せつけるまたとないチャンスである。
二塚P'Sの各選手たちは今頃、芳野に一泡吹かせるべく、内に秘める熱い思いを
バッティングセンターの白球にぶつけていることだろう。


・優勝祝勝会、開催される! [2003.5.24]

球団の歴史に残る、5.18歌の森での初優勝から約1週間経った5月23日、
二塚P'Sの優勝ナインがついに富山市内へ凱旋した。
各選手は沿道でもみくちゃにされながら高志会館のビアガーデンに入場、
待ちに待った優勝祝勝会が盛大に執り行われた。
祝勝会は、ビールやつまみは全てセルフであったため、当初は準備に手間取って
いたが、その間にちょうど、きのっぴやじじぃ選手も間に合い、準備は完了。
監督の乾杯とともに各選手やマネージャはジョッキを高々と持ち上げ、
会が開始された。
その後、続々とひでおう選手やうの選手がかけつけ、祝杯の連続。
金曜のビアガーデンは熱気に包まれた。
祝勝会のさなか、野球専門雑誌「職員だより」からひでおうキャプテンに
原稿執筆の依頼が届くと、会のボルテージは最高潮。ひでおうキャプテンは
正式に依頼を受諾、原稿書類伝達式も執り行われた。
ところで個人的には、ビールがやけに黄色くて水っぽかったのが気になるところ
であったが、安いからいいんじゃないですか?


・二塚P'SのHP、4000ヒット突破!! [2003.5.22]

二塚P'SのHPへの訪問者が5月22日に4000人を突破したことが分かった。
このHPは2002年10月1日に開設された。当初は知名度も高くはなかったが、
少しずつ口コミで広まり、ヒット数は順調に推移。
2002年11月11日、1000ヒット突破。
2003年3月14日には3000ヒットを突破。
そして二塚P'S祝勝会を明日に控えた本日2003年5月22日、記念すべき
4000ヒットを記録した。
注目の4000ヒット目の人物は!、相変わらず分かっていない。


・死闘、熱闘。高松宮杯決勝、感動をありがとう! [2003.5.18]

死闘とは、まさにこのような試合のことを言うのだろうか?
5月18日(日)に行なわれた高松宮杯二部決勝は、二塚P'Sと宿敵サンクス大島
との間で熱い闘いが繰り広げられた。
試合は逆転につぐ逆転の結果、最終回に3点差をつけられていた二塚P'Sが
モンいちの逆転サヨナラミラクルテキサスヒットにより13X対12の劇的な幕切れ。
二塚P'Sは見事、郡予選の優勝を果たし、県大会進出を決めた。
球団初のタイトル獲得は球団初のサヨナラ勝ちというおまけつき。まさに筋書きの
ないドラマ・・・。二塚P'Sよ、感動をありがとう!そしておめでとう!

試合の詳細は試合結果の欄をご覧いただきたい。


・高志会館、祝賀会場設営開始へ [2003.5.14]

高志会館から驚くべき情報が入ってきた。
二塚P'Sが5月18日(日)の高松宮杯二部予選で優勝した場合、高志会館では
5月23日(金)のビアガーデンを二塚P'S優勝祝賀会会場にすることを決定、
祝賀会場の設営に着手したということである。
ただし、この祝賀会は優勝したときにのみ行なわれ、優勝できなかった場合は
祝賀会は全てキャンセルされることとなっている。
この場合、ビールかけや飲食用として用意されることになっているビール大瓶
3000ケース(東京ドーム0.05杯分)は全て無駄となるが、
「勝負事なので仕方がないこととあきらめている。今は二塚P'Sの優勝を
祈るだけ」(高志会館関係者)ということで、高志会館は二塚P'Sと運命を共に
するようである。
ちなみに高志会館では、現在ビアガーデン前売りチケットを販売しており、
飲み放題食べ放題で2500円、さらに10人に1人はただになるという特典付。
これに目をつけた球団祝賀会担当者からお声がかかったものと思われる。
これは二塚P'Sは絶対優勝しなければならないだろう。優勝して5月23日(金)は
勝利の美酒に浸ろうではないか。


・独立リーグ結果速報! [2003.5.11]

本日、庄川河川敷で行なわれた独立リーグ開幕戦の結果速報が入ってきた。
二塚P'S対Revolutionは、よっすぃ選手の投打による活躍などで15対4と大勝。
幸先のよいスタートを切った。
二塚P'Sは初回から主軸がよくバットが振れていた。よっすぃが3安打、きのっぴが
2長打、ひでおうが1安打3四球4得点などの大暴れ。よっすぃ-モンいち-きのっぴ
の継投リレーでRevolutionの反撃を断ち独立リーグ初戦をものにした。


・独立リーグ規定が発表される! [2003.5.10]

明日に開幕を控えた独立リーグから9日付けで「独立リーグレギュレーション」
が発表された。レギュレーションとは規定や規則を表す言葉で、ルールブックの
ようなものである。
リーグの新規運営にあたって、開幕を直前に控えた今、事前にトラブルのない
ようにとの配慮から今回の発表となったと推測される。
発表文は以下の通り。(原文そのまま。)

           独立リーグ レギュレーション
(試合)
@ イニングについては7回までとし、以降新しいイニングには入らない。
A 試合時間はグランド利用時間以内とし、利用終了時間10分前からは
   新しいイニングに入らない。(試合は4回終了で成立とする)
B 試合は各チーム9名で行い、DHは認めないものとする。
C 選手交代に人数制限はないが、一度ベンチへ退いた選手が再度出場
   するこ とは認めない。
D 審判については、攻撃側から球審・塁審2名を出す。
   第三者に審判を依頼する場合は、不足分につき攻撃側から出す。
E グランドルールについては、試合前に対戦チームで確認し、
   その他、野球規則を順守しフェアプレーに努めること。
(リーグ)
@ 順位は勝利数が多い順に決定し、勝利数が同じ場合は得失点差によって
   決定する。(引き分け数は順位に影響しない)
A 試合ではそれぞれのチームでスコアをつけ、見解が食い違うところは後日
   調整を行うこと。
B 個人タイトルは、打撃4部門(打率・打点・本塁打・盗塁)
   投手4部門(勝利数・防御率・奪三振・セーブ)を決定する。
C 規定打席は、攻撃イニング数÷4(端数切り捨て)とする。
D 規定投球回数は、試合数とする。
E 先発投手は4回を責任イニングとし、セーブポイントは3点差以内での
   登板のみに与えられるものとする。


・独立リーグの全貌を徹底解剖! [2003.5.7]

先日お伝えした独立リーグについて新たな情報が入ってきた。
独立リーグは全部で4チームで構成されていることが分かった。
それぞれのチーム名は以下の通り。

・Parmalat(パルマラット)
・Winther (ウィンザー)
・Revolution(レボリューション)
・二塚P'S

また、5月11日(日)に行なわれる試合の二塚P'Sの対戦相手はRevolution
であることも判明した。
Revolutionとはいかなるチームなのか?
何かを改革するのか?
また、どうしてどのチームもかっこよさげな横文字なのか?
二塚P'S諜報担当による情報収集が待たれる。


・スクープ!二塚P'Sが独立リーグに参戦か!? [2003.5.5]

GWの最終日、当編集局に大きなスクープが飛び込んできた。
最新情報によると二塚P'Sは秘密裏にパルマラットを主体とした独自リーグへの
参戦を決定した模様。
二塚P'Sは本来、富山県射水郡野球連盟に所属しており、毎年の年会費と
各トーナメント戦ごとの出場料を納めている。全国に存在する草野球チームは
たいていの場合、二塚P'Sと同じく地域の野球連盟に所属して公式戦を行なって
いることが多い。
ところが、昨年来、練習試合を通じて交流を行なっていた草野球チーム「パルマ
ラット」は野球連盟には所属していない、いわば野球同好会のような存在であり、
ゆくゆくはどこかの野球連盟に登録するものと思われていた。
しかし、パルマラットは独自の野球リーグを設立し、野球を行なう方向を模索。
二塚P'Sも水面下でリーグ参加を打診されていたようだ。
そこでモンいち球団交渉担当部長や、ひでおうキャプテンらが交渉を重ねた結果、
射水郡野球連盟の公式戦に参加しながらという条件つきながら、
独立リーグの参戦を了承、正式に独立リーグへの参加を決断したと思われる。
ちなみに、この独立リーグの名称等の詳細はまだ明かされていない。
また、今回の独立リーグについて射水郡野球連盟は関知しておらず、今後の
野球連盟との両立が認められるかは依然として分かっていない。
独立リーグの開幕戦は5月11日(日)を予定しており、二塚P'Sは5月18日(日)の
射水郡野球連盟主催の高松宮杯決勝とは2週連続の試合となる。


・高松宮杯は5月18日に決定 [2003.5.5]

延び延びになっていた高松宮杯二部決勝は、5月18日(日)に開催されることが
正式に発表された。
5月18日(日)まで延期されるのは球場の確保の問題と思われる。
青空の広がる今年のGW晴れの中、18日(日)に決まったことで各選手は
正式に決まったスケジュールを見据え、各自バッティングセンターや自主トレ
などで心地よい汗を流していた。


・高松宮杯決勝は再延期 [2003.4.28]

4月20日(日)の雨で4月29日(祝)に順延されていた高松宮杯二部決勝は、
結局、またもや延期されることになった。

これは4月27日(日)、東日本大会二部県大会に出場したサンクス大島が、
初戦突破したため。
もともと4月29日(祝)の試合は東日本大会県大会のスケジュール次第である
ことは前から伝えられてきた。サンクス大島が県大会の初戦で敗れれば、
高松宮杯は予告どおり29日(祝)に行なわれ、サンクス大島が勝てば29日(祝)
の日程が重なるため県大会を優先して高松宮杯は再延期というシナリオになって
いた。結果は、サンクス大島が県大会の初戦を突破したことにより、29日の
高松宮杯は再延期。二塚P'S側はそのあおりを受けた形だ。

二塚P'S球団関係者は「サンクス大島の勝敗によって試合の日程が変わるのは
分かってはいたが、なかなかこちらも調整が難しいなあ。」と本音をポロリ。

二塚P'Sの敵はサンクス大島だけではなく、「スケジュール調整」という
見えない敵もいるようだ。

・やすさん、サンクス戦、出場OK! [2003.4.26]

謎の高熱、YARS(ヤース)に蝕まれ、点滴生活を余儀なくされていたやすさんが
無事に退院、自主トレに励んでいることが分かった。
やすさんは4月26日(土)、報道陣が見守る中、ふらりと高岡総合プールに現れ、
スイミングによる自主トレを軽快にこなし、復調をアピール。
「病気は完治した。あとは勝負勘を取り戻すだけ。」とやすさんは最高のさわやか
スマイルを見せていた。

・雷鳥ハンター立山リポート Vol.2 [2003.4.26]

立山に勤務している雷鳥ハンター選手から立山最新リポートが到着した。
4月23日、下界は大雨注意報が出たにもかかわらず、雲の上、立山は別世界の
快晴モード。
この快晴の中、雷鳥ハンター選手は「お客様の質問に答えられるようになるため」
という名目で雪の大谷の視察を行なった。
雪の大谷は下写真の通りの絶景。
恒例の大谷ウォークも行なわれ、雷鳥ハンターはご満悦だったそうな。
GWは春の観光シーズン真っ盛り。立山は活気に満ちた春を迎える。

  美しき雪の大谷


・立山黒部アルペンルート開通 [2003.4.20]

4月20日、今年も立山黒部アルペンルートが開通した。
開通式に参加した雷鳥ハンター選手から最新の情報と映像が送られてきた。
当初は山ごもりの生活でへこんでいるのではないかと思われていた雷鳥ハンター
もミス立山とミス称名滝に囲まれまんざらでもなさそうだ。
4月20日の高松宮杯二部決勝は雨天中止となったが、出場できなかった去年の4番、雷鳥ハンターは4月29日ならば出場できるとあって怪我の功名、災い転じて
福となす、今度の試合は大チャンス打線が組めそうだ。
  右がミス立山、左がミス称名滝


・高松宮杯二部決勝は雨で中止 [2003.4.20]

4月20日(日)の高松宮杯二部決勝、二塚P'S−サンクス大島戦は前日からの
雨が止まず、試合は中止、後日に順延となった。
4月20日早朝、空は無情にも雨模様。試合の有無は現地で発表の為、憲秀選手
が球団代表として歌の森球場に向かい、試合の最終判断を待った。
その結果、4月20日は「雨天のため試合中止・順延」との発表が正式になされた。
試合の中止。
各選手たちはできるだけ平静を保つかのように、雨天練習場に向かう者、
毎週の連戦の疲れを癒す者、発表後ただちに布団に戻り、二度寝に入る者等、
対応が分かれた。
連盟側は以降の予定についても以下のように発表した。
この試合は予備日の4月29日(火・祝)に順延とする。
しかし、対戦相手のサンクス大島は4月27日(日)からの東日本大会県大会と
日程が重なるため、日程は県大会を優先するものとする。
もしも県大会でサンクス大島が勝ち上がり4月29日に試合が行われる場合には、
試合日の重複のため、さらに試合の延期がなされる。
その場合、5月18日まで今回の試合が延期される場合もあるという。


・やすさん、点滴 [2003.4.15]

二塚P'Sが4月13日(日)の高松宮杯二部の勝利に沸く中、布団の中から一人
応援している選手がいた。
本来ならば歌の森球場で一塁を守るはずだった、やす[仮名](30)。
4月6日の東日本大会の直前、彼は謎の高熱に倒れた。
それでも、やすは4月6日、無理を押して、預かっていたヘルメットを球場に届けた。
そのときの彼は、足取りは乱れ、その目は遠くを見つめたままだった。
この無理なデリバリーヘルメットがたたってか、この1週間後の高松宮杯前日、
彼の病状は回復せず、病院で点滴を受けていた・・・。
いつかまたあのグランドに戻って白球を追いかけたい。
病室で彼はこぶしを握り締めてつぶやいた。
選手一同は、やすの復帰を願っています。今週末の高松宮杯決勝では、やすの
復帰戦のはず。負けるわけにはいかない。がんばれ、やす。がんばれ二塚P'S!


・高松宮杯二部1回戦、どうなった? [2003.4.14]

先週の東日本大会二部・決勝では残念な結果に終わったが、東日本大会は、
去年の試合が雨天順延で延びたものであり、ほんとは今年の試合ではない!
と自分に言い聞かせた二塚P'Sは、心機一転、4月13日(日)、高松宮杯二部の
1回戦に出場、熱い試合が繰り広げられた。
相手は唯一今まで対戦がなかったソルジャーズ。このチームは情報が乏しく
謎に包まれており、事前の情報を入手することはできなかった。二塚P'Sは相手
が強いのか弱いのかまったく分からないまま、試合に臨むこととなった。
先攻の二塚P'Sは初回表は0点に終わり、裏のソルジャーズの攻撃。
獅子舞明けの先発投手・よっすぃは制球が定まらず二死満塁のピンチ。
そこでソルジャーズ6番が打った打球は・・・

この試合の結果は、チーム試合結果を参照されたい!


・東キャップ、負傷!私生活にも影響か? [2003.4.8]

先日、行われた今季初の公式戦の中、攻守の要、東キャップが負傷したことが
分かった。
問題の場面は2回裏、サンクス大島の攻撃のときであった。簡単に二死を取った
あと、四球で二死1塁の場面。ランナーが盗塁を試みたため、キャッチャーの東
選手は2塁へと送球した。このときピッチャーの配球はインコースだったため
東捕手はバッターの背中越しに2塁へと送球した。そのとき、カキーンという
金属音とともに東選手から悲鳴が上がった。試合は一時中断。
球を投げた際、人差し指と中指が打者のバットに直撃してしまったのだ。
東選手の爪は完全に割れ、指は見る見る青色に。見るも痛々しい姿である。

現在、東選手は病院で検査を受けているはずだが、全治は今のところ不明。
来週の試合への影響が懸念されるところである。。
また、人差し指と中指といえば野球以外の日常生活においても非常に重要な
部分であり、指の使用を痛がるようであればプライベートの充実にも支障をきたす
可能性がある。今後の東選手の私生活の変化にも注目が集まるところである。
とにかく二塚P'S編集局でも一刻も早い回復を願わずにはいられない。


・東日本大会決勝戦、歌の森が燃えた! [2003.4.6]

4月6日、ついに今シーズンの開幕を告げる公式戦が開催された。
この公式戦は東日本大会二部・決勝である。この試合は実は昨年の10月に
予定されていた。しかし、連盟の連絡ミスや雨天中止などで大会は延び延びに
なり、ついには2003年の4月まで延期されたいわくつきの試合である。
待ちに待ったこの試合。天気予報は曇りのち晴れであったが、この日の前日も結構強い雨が降った。天気は気まぐれである。そして、当日。

試合当日は青空が広がり、きれいに晴れわたった絶好の野球日和。
選手たちは胸にそれぞれの思いを秘め、今日、一人一人の開幕を迎えた。

この試合の結果は、チーム試合結果を参照されたい。


・対パルマ戦、練習試合の結果は? [2003.3.31]

今年の球春もまた静かに始まった。3月30日、来週の公式戦への調整のため、
二塚P'Sはパルマラットとの練習試合を行なった。
結果は土壇場で追いつかれての3-3の引き分け。昨シーズンの練習試合で
2連勝していた相手だけに無念さが残る1戦だった。
試合では相手のピッチャーも調子がよかったが、二塚P'Sは去年の主力メンバー
のバットが湿りがち。来週公式戦を直前に控えて、苦い薬となった。
試合はともに相手ピッチャーを打ちあぐみながらのシーソーゲーム。
3回の表、ようやく二塚P'Sが4番湯野のタイムリーで先制すると、パルマも4回裏、
4番渡辺が負けじとタイムリーヒットで同点。パルマは続く5回に無死満塁から
攻めあぐんだものの、押し出しで逆転に成功。しかし、二塚P'Sは6回表、相手
失策とルーキー木下のあやわホームランの3塁打などで再逆転。このまま
二塚P'Sが勝てると思われたが、最終7回表に無死満塁から憲秀が左打席勝負。
これが見事、裏目に出て無得点に終わった。、最終回の裏、パルマはお返しの
一死満塁のチャンス。二塚P'Sは二死までこぎつけたものの1点を取られ、
試合は引き分けとなった。
試合後の糸庄での煮込みうどんでは暑さで汗が噴出するだけでなく、実は
目からも汗が流れていたという。

なお、試合結果並びに個人成績が更新されているのでご覧いただきたい。


・エピソードV パルマの逆襲? [2003.3.24]

昨シーズン、練習試合を2度行った「parmalat(パルマラット)」との練習試合が
3月30日(日)、みたび開催されることが決まった。
パルマラットとの練習試合は3度目。過去の対戦成績は二塚P'Sの2勝0敗で、
パルマラットは大変に悔しい思いをしているらしい。
冬の時代を乗り越えたパルマは3度目の正直をめざし、必ずや逆襲してくるで
あろう。
二塚P'S側としても4月6日(日)に今季初公式戦を控え、勝負勘を磨くには
絶好の機会であり、願ったりかなったり。返り討ちにする予定である。
ただ、問題は年度も押し迫った3月30日(日)に二塚P'S側が9人ちゃんと揃うか
ということである。各選手・マネ・応援団はぜひ参加していただきたい。

ちなみに詳しい時間と場所はまだ未定である。今週中には発表があるものと
思われる。本HPでも正確な情報が入り次第直ちに掲載する予定である。


・新会計係、決まる! [2003.3.17]

2003年の役員で最後まで難航した会計係によっすぃが選出された。
初練習が行われた3月15日、堀江球場では練習の合間を縫って、新会計係の
決定と年会費10000円を徴収することが同時に行われた。
ここで、ほとんどの選手は10000円を払ったが、宵越しの銭は持たないよっすぃは
当然のごとくそんなものはない。
そこでよっすぃは考えた。
いや、待てよ。会計なら後で払えばいいやん。
こうして2003年度会計係は誕生した。よっすぃはここで早くもデフレ不況打開の
ための財政出動計画を宣言。独自の発想を提案した。ここでは具体的な内容は
控えることとする。
また、一方で構造改革にも言及し、自分のジュースは自分で買うという案も
提出された。これらのよっすぃ原案は順を追って審議される予定である。


・二塚P'SのHP、3000ヒット突破!! [2003.3.15]

二塚P'SのHPへの訪問者が3月14日に3000人を突破したことが分かった。
このHPは2002年10月1日に開設された。その後ヒット数は順調に推移し、
2002年11月11日、1000ヒットを突破。
そして2003年3月14日に記念すべき3000ヒットを記録した。
これは月に平均500ヒットを保っていることになる。
3月15日現在ではトップページが3033ヒット、掲示板が3783ヒットとなっている。
相変わらず掲示板がトップページを上回っている状態だが、これもご愛嬌か?

ちなみに2000ヒット達成日がいつだったのかは、気にしないでいただきたい。


・今シーズン初練習のお知らせ [2003.3.11]

今週末の3月15日(土)、二塚P'S初練習が行われる。詳細は以下の通り。
多数の参加をお待ちしております。

日時:2003年3月15日(土)13:00〜
場所:滑川市営堀江球場(国道8号で滑川に入ってすぐ立体を下りる。)
料金:初練習特別優待により 内野S席、内野A席、外野席など無料開放!
備考:練習後、サイン会あり。希望者は色紙を持参のこと。
連絡:登録選手は10000円徴収します。

※ちなみに本HPで上にいつも飾ってある写真が堀江球場です。


・2003年試合スケジュールが決定! [2003.3.10]

ついに2003年二塚P'Sの年間試合のスケジュールが見えてきた。
今年の初戦は4月6日(日)、去年から持越しとなっていた東日本大会(二部)
決勝からスタートとなる。
次の試合はなんと翌週の4月13日(日)、高松宮杯二部大会が今や遅しと
てぐすねをひいて待っている。いきなりの2週連続の試合日程である。
もちろん高松宮杯二部の初戦で勝てば4月の日曜日は高松宮杯の公式試合で
埋まることになるだろう。
その後も5月に入れば郡体が、7月には小杉町長杯、8月にはキャプテンが
昨年申し込み忘れた、因縁の都市・クラブ対抗と目白押し。

詳しいスケジュール表は「特集」−「2003年 大会出場スケジュール」を
見ていただきたい。

うれしはずかし野球漬け。一夜漬けはイヤよって感じである。
各選手・マネのスケジュール帳に今すぐ書き込もう!

・2003年 大会出場スケジュール


・キャンプインの日程が決定! [2003.2.18]

春の足音が近づき、日差しも少しづつ柔らかくなり、大沢野の熊の
冬眠明けも近づいてきた今日この頃、二塚P'S、2003年のキャンプインの
日程(=初練習日)が3月15日(土)に決定した。
ただし、残念ながら時間と場所はまだ未定である。

詳細は後日発表となるが、一応の日が決まったことで各選手たちは
キャンプインに向けて逆算した自主トレのスケジュールを組んで体を絞る
ことができるだろう。

冬はどうしても運動不足や忘新年会、バレンタインのチョコの食べ過ぎ
などで太り気味となる。
キャンプイン前の2月、3月の自主トレでどれだけ体をいじめ、鍛え上げて
くるかが、1年間を通して試合で活躍できるかの鍵となってくる。
各選手の健闘を祈る!


・二塚P'S、気になる総会結果は? [2003.2.9]

2月8日(土)に予定されていた二塚P'S総会は滞りなく行われ、新役員、予算案
等など様々な議題が可決された。都合のつく選手が予想以上に少なく、少数に
よる打ち合わせとなったが、それでも熱く、しかしときには冷静に、総会は長時間
に渡り行われ、参加者が眠りにつくことができたのは翌日の4時という激務で
あった。詳細は以下の通り。

〜総会 第一部〜
14時〜18時半 at H邸
今年度監督   :二塚氏 (全会一致)
今年度キャプテン:東氏 (全会一致)
今年度会計   :次回練習にて決定。 (先送り)
広報担当    :あみぃ。主にHP業務。
審判等      :スコアのボタン押し程度なので経験者でなくてもよく、
           みんなで回そうか。
今年度徴収金額:一人10000円。徴収は1回?
今年の目標   :大会での優勝。サインプレーの質向上。射○以外に勝つ。
その他議事録  :今月のTJ富山にキャプテンの妹が出ている。
           2月11日(祝)上市町熊鍋祭りで麗奈が踊るので観に来い。

〜総会 第二部〜
19時〜翌3時 at 魚民
キャッチフレーズ :採用「まっすぐでいいんじゃないですか?」
            次点「恋した女は数知れず、愛した女はお前だけ。」
今年度徴収金額 :徴収は2回に分けるべき?(よっすぃとの電話会議)
今年の初練習日 :3月8日が濃厚か?
自主トレ      :初練習日の前に合同自主トレを行う可能性あり。
HPの活用     :15秒ムービーを選手出演で制作する。
            〜ピンチでマウンドに駆け寄る選手たち。
            汗が滴り落ちる炎天下の中、最後に出た言葉。
            「まっすぐでいいんじゃないですか?」〜
その他議事録  :ソニンはかわいそう。
           よっすぃ、上平村かんじきリレーで2位。賞金4万円ゲット。


・二塚P'S、総会開催! [2003.2.5]

2003年、3年目を迎える二塚P'Sは、今後の球団運営の方針と事務作業の
調整のため、来る8日(土)に総会を開催する。詳細は以下の通り。

開催日:2003年2月8日(土)

〜合同自主トレ〜
集合 :12時15分 おとぎの森公園
練習場:おとぎの森公園(雨天時はスタジアム)
内容 :マスコミを締め出しての秘密練習

〜総会〜
集合 :13時15分 おとぎの森公園
会場 :二塚P'S事務局二塚支部(H邸)
内容 :会計監査、新役員選出、2003年会費の設定等


・なっちゃん、とうとう卒業 [2003.2.5]

毎朝、一日の始まりを知らせる元気印の人気アナウンサー、小島奈津子アナが
3月31日付で、めざましテレビのキャスターを卒業することが分かった。
なっちゃんと呼ばれて親しまれた小島奈津子アナは平成4年フジテレビに入社。
入社3年目の春、八木亜希子アナに代わり、めざましテレビの新キャスターに
抜擢されたなっちゃんは、以来9年間にわたり毎日、元気な声を日本全国の
茶の間に届けてきた。(補足:今はフリーですが。)
特に、占いのコーナーに入るときの元気な声は世のサラリーマン・OLたちに
一日の元気と勇気を与え、めざましテレビは朝の代表的番組となった。
気になる今後のなっちゃんであるが、主婦業を優先しつつもアナウンサー業を続けることになりそうである。
また、4月1日からのめざましテレビは、あやぱんこと高島彩アナウンサーが
新キャスターとして大塚アナとコンビを組むこととなる。


・朝青龍、優勝。新横綱誕生へ! [2003.1.26]

大相撲初場所の千秋楽を迎えた今日、前日に優勝を決めた朝青龍
(本名:ドルゴルスレン・ダグワドルジ)は、今日も勝って通算14勝1敗とし、
文句なしの幕内優勝を果たした。
千秋楽、大関武双山と対戦した朝青龍は相手の引き技にあいながらも
強靭な下半身でこれを残し、逆に強い押しで武双山を圧倒。
この結果、朝青龍は横綱審議委員会で横綱の推薦を受けることとなり
第68代横綱・朝青龍が誕生することが確実となった。
横審委員のナベツネも、あとは礼儀作法だなと苦言を呈しながらも横綱推薦は
認めるようである。

ちなみに十両優勝はかわいい弟弟子、朝赤龍(あさせきりゅう)
(本名:バダルチ・ダシニャム)が優勝し、優勝パレードでは一緒に肩を組んで
周りの沿道の声援にこたえていた。

朝青龍と朝赤龍。モンゴルからやってきた青と赤が今年も日本の大相撲を
掻き回すことになるだろう。モンゴル相撲よ、永遠なれ!


・ムネオ、ボーリングで大暴れ [2003.1.20]

氷見土木・高井ムネオがついに始動した。
小雪のちらつく20日、毎年恒例の土木部主催のボーリング大会が富山市内の
ゴールデンボール行われた。
参加者240名近くの中、われらがムネオ氏は2時間休を取って試合に臨んだ
ことが功を奏し、2ゲームで平均180近いスコアを叩き出し、大暴れ。
見事、全体で個人3位に入賞。自主トレの成果を存分に発揮した。

ちなみにムルアカ氏は職を失い、今後は格闘家としてデビューするそうである。


・ヤンキース・松井、自主トレ開始。 [2003.1.19]

ヤンキース・松井がついに始動した。
アメリカでの契約や記者会見を終え、日本に戻ってゆっくり静養していた松井。
大寒を明日に控えた今日、松井は川崎市にあるジャイアンツ球場にて軽く
ジョギングやストレッチなどをこなし、心地よい汗を流した。
日本での10年ではすばらしい結果を出してきた松井。2003年、世界を舞台に
した松井伝説の始まりとなるか。今はただ、しっかりと体作りに精を出して
もらいたい。
ところで我が二塚P'Sの選手たちもそろそろ自主トレを開始するのか?
しかし今はまだ1月。その前にスキー・スノボだという選手たちも多い!?
自主トレは2月くらい・・・かな?


・朝青龍、結婚していた! [2003.1.8]

1月12日から両国国技館で始まる大相撲初場所で綱取りを目指す
われらが朝青龍が、実は結婚していたことが判明した。
お相手はモンゴル人のゴンボツェレン・タミルさん。朝青龍とは中学時代の
同級生だという。
朝青龍の情報に関しては自信を持っていた本編集部であっただけに、
この結婚情報が入ったときの編集部内は、喜びのどよめきと同時に、
俺知らないよ、朝ちゃん!と嘆く部員の姿も。
綱取りの間に嫁取りもちゃっかりこなした朝青龍。
あとは初場所で連続優勝を果たして一気に横綱昇進を決めたいところ。
公私とも充実の今の朝ちゃんなら、きっと成し遂げられるであろう。


・「涼子を救う会」、開催される! [2003.1.4]

最優秀新人賞次点であった麗奈(本名:涼子)が男に騙されたことを受け、
二塚P'Sでは急遽、「涼子を救う会」(涼救会)を開催した。
正月気分覚めやらぬ1月3日の陣太鼓に、監督をはじめとする呉西メンバーが
集い、さらにあみぃの友人「てつを」や陣太鼓の2代目「典子」(=涼子の同窓生)
も加わり、全員で涼子を慰めた。
涼子は席上、事の経緯を涙ながらに説明し、会場ではもらい泣きをする人も
見受けられた。会ではチャンスがあればその男を軽くボコボコにするという
決議を採択、涼子は満足そうに帰っていった。
会の写真はこちら


・謹賀新年!2003年、始まる! [2003.1.1]

新年、明けましておめでとうございます。
旧年中は、みなさま方には大変お世話になりました。
本HPもネタ不足に悩みながらも、何とか2003年に突入することができました。
去年は公式戦初参加、初勝利、モンゴル相撲、ゆく人来る人等さまざまなことが
ありました。
今年も楽しい時間が過ごせるよう、選手、マネージャ、応援団が一丸となって
活動していきましょう。